公文に通わせて、これはちょっとマズいかも(汗)と思ったこと
公文に通わせて良かったと思えることは、今でもたくさんあります。
ただ、公文に通わせていた当時
ひとつだけ、これはちょっとマズいかも (;''∀'')・・・と思ったことがあります。
それは 字の汚さ。
おそらくこれは公文に通わせたことのある保護者のなかでは
「公文あるある」だと思います。
公文では次の教材に進むときに終了テストが行われます。
テストでは時間が計られたうえで、正答率が問われます。
つまり 少しくらい字が汚くても、時間内にできるかどうか?のほうが
重要視されるわけです。
実際に長男も次男も、お世辞にも字がキレイとは言えません。
いえ、ハッキリ言って 汚い。
ですが、公文の先生に注意されたことはほとんどありません。
注意というほどのものではありませんが
"1"か"2"か、判断に迷うほど汚い数字を書いたときに
指摘を受けることはありました。
でも、それはつまり
"1"か"2"か、判断に迷うほど汚い数字でなければ大丈夫ということです。
通わせている途中で、その事実に気付いた いくもん。
そこで思ったのです。
これはちょっとマズいかも・・・ (;''∀'')
人と関わるときに、相手の人間性は長く付き合うと自然と見えてくるものです。
しかし、長く付き合う時間がない中で判断を迫られるときもあります。
そんなとき人は、わずかな情報から相手の人間性を推し量ろうとします。
たとえば、食事するときのお箸の持ち方や使い方だったり
椅子に腰掛けたときの姿勢や、立ち居振る舞いだったり。
それと同様に、ふとした場面で書かれた文字がキレイだったときに
その人の印象はグッと良くなるものです。
だからこそ文字は、汚いよりはキレイに書けたほうが断然いいわけです。
そんなわけで、こどもたちの汚い字を眺めながら
2人とも書道教室に通わせたほうがいいかも・・・と考えた いくもん。
でも当時、こどもたちに書道教室に行ってみようよ〜と声を掛けても
お試しで行くことすら「面倒くさいから嫌だ」と断られてしまいました。
自分がこどもの頃には朝から晩まで毎日、泥だらけで(お転婆娘でした)
公園でお友だちと遊びまくっていたのに
こどもたちはと言えば、スイミングスクールにチャレンジ、公文などなど。
本当は毎日もっと遊んで、もっとダラダラ過ごしたいよね・・・。
これから先、成長したこどもたち本人が「字をキレイに書けるようになりたい!」と考えたときに
大学生や大人になって、もう少し時間の余裕ができていたなら
そのときに本人の意思で習字やペン字を習い始めても、決して遅くはないはず。
そう考えた いくもんは結局こどもたちを習字やペン字を習わせることなく
現在に至っています。
こどもたちの字は相変わらず汚いままですが・・・( ;∀;)
さっさと自分の字の汚さに気付いて、習字やペン字を習いに行ってくれよ・・・!と
密かに期待をしている いくもんです。
時間とお金にまだ余裕があるよ~という場合には
「公文に通わせながら、くもん書写にも通わせる!!」
・・・が、ベストかも?デス (`・ω・´)ゞ
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